2月28日は小諸義塾の創設者、木村熊二の命日でした。

亡き熊二をしのび、28日(水)には蓮峰忌

とり行われました。

 

木村熊二は、明治時代の教育者です。

その生涯を教育に捧げた熊二は、

明治26年に私塾 小諸義塾を創設。

 

教え子だった文豪・島崎藤村を、

小諸義塾の講師として招いた他、

画家・丸山晩霞など

優秀な講師陣を小諸義塾に招き、

小諸の近代教育の発展に尽くしました。

 

木村熊二の功績を伝えようと、

平成5年に市民有志が立ち上げた

「小諸義塾の会」。

熊二の命日である2月28日に

毎年熊二をしのび「峰忌」を行っています。

 

97回目の命日となることしは、

小諸義塾の会の会員およそ20人が参加。

 

挨拶に立った小諸義塾の会

栁沢惠二会長は

正しい歴史を伝えていくのが

私たちの使命であると話しました。

 

その後、会員らは熊二が作詞した

「小諸の春」を歌い、

亡き熊二をしのんで、

祭壇に花を手向けます。

 

会の最後には

元藤村記念館館長の柳澤厚さんが

『「報知漫筆」を読む』

というテーマで講話を行いました。

 

柳澤さんは、

明治時代、報知新聞の漫筆欄に

当時60代の熊二が

若き日の思い出をつづった体験談を紹介。

参考資料を用いながら、

熊二の知性あふれる表現や

随筆に込めた思い、

そして近代化に揺れる

人々の心情について話しました。

 

さらに武士、教育者、牧師として生きた熊二の

豊かな人間性や今日に与える影響について

次のように語りました。

 

「ほとんど当時一流の学者に学んだわけで

彼の人格の中核をなすものは

そういう学んだ

儒教的精神だったという風思います。

その儒教において

この形づくられた武士道精神

というものが中核にあって

その上にキリスト教の

絶対的な世界を知った

ということではないかな

という風に思います。

帰国後はやはり

現実の明治の世の中で

どうも生きにくい、いろいろなこと

折り合いをつけながら

生きていくというのは

熊二さんにはちょっとやりにくかった。

藤村は

「私の目に映る先生には

完成というものがなかった先生の

長い生涯は

大きな未完成のままだった気がする」

と藤村は書いていますけど、

未完成で終わるにしても

これは成し遂げられなかったことは

後々に続いて行ったものだと思うし、

またこれはもしかしたら

今日にも続いているかと思うのです。」

 

小諸義塾の会では

多くの人に木村熊二の

功績を知ってもらうために

今後もこの蓮峰忌

続けていくとしています。