市区、耳取区、和田区の農業用水として使われている

涌玉用水。

開発された江戸時代初期から現在に至るまで、

地域住民に守り継がれています。

その涌玉用水について記された古文書などが、

17日(金)、保管されている金庫から出され、

公開されました。

 

御代田町から小諸へ続く水源である「涌玉用水」。

江戸時代初期の1620年に、

市村、耳取村、和田村の

3村の農業用水として開発されました。

 

現在までのおよそ400年間、

地域住民による涌玉用水管理委員会によって、

大切に守り続けられているこの用水は、

「小諸ふるさと遺産」にも登録されています。

 

この日、市区農事集会所で行われた「虫干し」は、

金庫に保管されている涌玉用水に関する資料を

風通しのよい場所に移し、

虫の被害を防ぐ作業です。

 

貴重な資料を後世に残していこうと、

毎年秋に欠かさず行われています。

 

保管されている資料は、

今からおよそ350年ほど前、

江戸時代に書かれたもの12点と

昭和30年代にまとめられた記録のあわせて12点です。

 

資料の多くは、

当時の涌玉用水を管理する地域と

上流を流れる御影用水を管理する地域との

水争いに関するものです。

裁判所による判決記録などが、詳細に記されています。

 

一方、こちらの絵図は、

水争いがおこった際、涌玉用水の流れを証明するため、

江戸時代に記録されたものです。

 

現在の御代田町 馬瀬口あたりで

涌玉用水と御影用水が合流し、

またそれぞれの村へ分岐していることが読み取れます。

 

現在も、3つの区にとって大切な農業用水である涌玉用水。

管理委員会ではこうした機会に歴史を知り、

大切な財産として

守り続けていきたいとしています。

 

町田さん

「歴史的にも非常に重要なものでありますし、

地区の水田を潤す水源になっています。

昔の人たち苦労した部分がすべてこれに詰まっていますので、

非常に重要なものだと思います。

余裕があれば、古文書でもやりたいと思いますが、

子どもたちにも継承していきたいと思っています。

代々続いていって欲しいと思います。」

 

高地さん

「上水道が無かった頃の人たちの思いを歴史の中で伝えていく。

私たちは、昔からの思いをいったんお預かりして、

また子供に伝えていくという役目だと思っています。

せっかく残っているものだから、

やっぱり大事にしていきたいという思いはあります。」