昭和20年8月15日に第二次世界大戦が終わってから、

ことしで75年が経ちました。

CTKでは3回シリーズで、

当時を知る小諸市遺族会大里支部の方のお話などをもとに

戦争の記憶をたどります。

最終回のきょうは、遺族会の皆さんの思いをお伝えします。

 

饗場さんたちが所属する小諸市遺族会大里支部には、

戦争当時のことを知らない世代もいます。

後平に住む尾沼英夫さんは、戦後に生まれ現在79歳。

妻が父親を亡くし、その後妻の家庭に養子に入りました。

 

尾沼さん

「うちの母親というのがまだ若かったので、

私が養子に来た時には46歳でした。

それから1人で苦労して、

おじいさん・おばあさんと百姓をやっていましたけど、

その時にはおじいさんやなんかも亡くなっちゃって、

母親1人でもって田んぼの仕事をやっていた。

それを私が見様見真似であっち聞いたりこっち聞いたりして、

今百姓をやっているんですけど、大変でした。」

 

現在会長を務める橿山利雄さんは、

おじを戦争で亡くしました。

会員の減少・高齢化が進み、

役員のなり手もいないと嘆きます。

 

橿山さん

「私の父親も衛生兵で戦争に行って無事帰ってきました。

私のおじがニューギニアで、21歳で戦死して、」

「私の生まれる前にということで。

それで今大里遺族会で支部長もしているんですけども、」

「来年というと役員のなり手がなくて、

私とか何人かでできるとそういう状況じゃないので

厳しいなと思ってよく眠れないような感じなんですけども。」

 

金平山で毎年11月3日に行われる大里支部の慰霊祭も、

今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため

中止が決まっています。

遺族会は、戦争の記憶や平和の尊さを

次の世代にどう伝えていくか、という課題も抱えています。

 

慰霊堂などのある諸区の区長を務める中山正男さんは、

戦争を経験した饗場さんたちの話を聞き

同じことを二度と繰り返してはいけない、と強く感じています。

 

中山さん

「私は戦後の生まれなので、実際の経験はないんです、

でもやはり皆さん戦争を体験した人、

苦しい思いをした人、その方たちからお話を聞いて、

それを次の世代に伝えていくということが

非常に重要ではないかと思いますね。」

 

戦争の恐ろしさ、苦しさを体験していなくても、

当時の記憶を後世に伝えていきたい、

戦争を二度と起こしてはならないという思いは同じです。

 

当時を知る人の貴重な話をどう聞き、どう受け止めるか。

私たちも改めて考えていかなければならない

節目に差し掛かっています。

 

尾沼さん

「どこの国もいろいろ戦争はありますけど、

日本は再び戦争をやらない、

そういう国にしていってもらいたいと思いますよね。」

 

中山さん

「この戦争というのは人間が起こした、

自分たちで起こしたことなんですよね。

コロナは自分らじゃないんですよ、

あれはウイルスというちょっと我々には

つかみどころのないようなものが暴れていますけれども、

戦争は我々の力で防ぐことができるので、

ぜひ若い人に今後二度とそういう人と人の争いを、

しかも広島・長崎みたいな、

まるで兵器じゃない、人殺しの道具ですね。

ああいうものを作っていかないように

していかないといけないんじゃないかなと思いますけれども。」

 

土屋さん

「戦争は絶対起こさないようにみんな心がけてもらいたい。

一番切ない思いをしたからね。」

 

饗場さん

「今の世代の人たちは困っているときに生まれた人はない、

物が豊富になっているときに生まれたから、

昔のことを言って聞かせたって分からない。

戦争だけはもう二度としたくないし、してもらっちゃ困る。

若い人たちにも伝えて、

身内の先祖さんは国のために犠牲になったと、

今の平和はその人のお陰であるんだから、

胸張って、遺族会は、いつも心は

忠魂碑のほうを向いてもらいたいと私は思って、

いつまでも慰霊祭ができますようにと、

いつも祈っているわけでございます。」