『鶴巻の発展に尽くした 小宮山荘助の記念誌発行(21.10.22)』

           
        Posted on 2021年 11月 10日      
     
        大正から昭和にかけて、小諸市鶴巻の発展に寄与した 小宮山荘助の功績を偲ぶ記念誌が このほど発行されました。
この記念誌は、大正から昭和にかけて 小諸市の歓楽街として栄えた鶴巻の開発を中心に、 小諸の町の発展に多大な貢献を残した、 小宮山荘助の功績をたどるものです。
鶴巻の一角にある小宮山荘助の偉業をたたえる顕彰碑。 この碑は、鶴巻区の有志らが、 小宮山荘助が興した「小諸鉄工所」跡地に、 昭和35年に建てたもの。 碑の裏に刻まれた、荘助の偉業は、 深い親交のあった、 初代小諸市長・小山邦太郎が書いたものです。
およそ60年の歳月と共に、石碑も古くなり、 このいわれを知る人が少なくなる中、 ひ孫にあたる、小宮山酒店の岩下順子さんら子孫は、 おととし5月、この石碑を修繕。 記念誌は、更に、小宮山荘助の功績を残していこうと 子孫らの熱意により制作されました。
「石碑が改修されまして、みなさんで集まったときに、 それでは荘助のことをまとめてみてはという話ができまして、 ではやってみようかということになりました。 44やってみようかということになりましたけど、 どうやっていいかよくわからずに、 みなさんに見ていただくにはどうしたらよいかというときに、 小諸トリップという冊子があるんですけれども、 その冊子を手掛けてくださった、 中村完二郎さんという方ですけれども、 この方に頼んでみようということで、 ことしの4月頃から6か月かけて、 こういった項目は16項目ありますけれども、 期待以上のものができて、喜んでおります。」
編集を手掛けたのは、市内のデザイナー、中村完二郎さんです。 半年かけて完成した記念誌。 小宮山荘助が遺した40年分の日記や資料を基に、 荘助の偉業や町の盛衰、小宮山家の歴史などを 詳しく紹介しています。
「身近なところでは、私のおじいさん、 祖父が星野温泉の星野嘉助様と親友で、 星野嘉助様がこの本を書いてくださってあって、 ここにすごくその当時のことが詳しく載っています。 その父の荘助のことになりますと記憶が危うくなりますが、 塩川伊一郎伝のところに弔辞が載っていたり、 そうしてまた、中村さんがインターネットを駆使したりして、 その当時の大豆粉砕機の設計図などを出していただいたり、 大学の名簿なども出していただいたりして、 徐々に調べていっていただきました。」
明治2年に生まれた小宮山荘助は、14歳の時に 小諸で代々農具を専門に扱っていた 小宮山佐市鍛冶へ弟子入りし養子に。 小宮山家の長女いちと結婚し、 その後、分家独立して鍛冶職人となりました。
明治43年、41歳で大豆粕粉砕機を発明、特許を取り、 大正3年に一帯が畑だった鶴巻の開発に着手します。 鉱泉を掘って浴場を開いた他、 道路や電灯を誘致して鶴巻町を興しました。 また、映画館「活動写真館鶴巻館」も整備。
昭和に入り、初代小諸市長、小山邦太郎が代表を務める 市内の製糸会社「純水館」から ボイラー機械を受注していたことから、 息子である錬三と南町に「小諸鉄工所」を設立し、 規模を拡大しました。
荘助が活躍した時代は、 小諸で木村熊二や島崎藤村、小山邦太郎、小山敬三らが 活躍した時代。 三岡で桃の缶詰工場をつくり、明治天皇にジャムを献上した、 塩川伊一郎とも交友があり、 缶詰の製造にも荘助の会社である 小諸鉄工所が尽力しています。
小諸町町会議員や鶴巻区長としても地域に貢献。 昭和13年に69歳でその生涯を閉じました。
「小宮山の本家へ長女いちさんの養子に、 14歳で丁稚奉公に入って、その後都会の方に出て勉強して辛酸をなめて、 こちらに帰ってきて、大豆粉砕機などを発明したり、 そのあと大阪に発明品を出展したときに、 大阪の天王寺の街を見て、 こういった街を作りたいなということで、 田畑だったところを作ったということで、 本当に何もないところ、マイナスから苦労の連続のところから、 いろんなところに希望をもってきたというところがすごいなと思います。 純水館のボイラーを納品したということで、 相当忙しい時代に一緒に頑張ってきたんだなという風に、 今もう製糸業はなくなりましたけど、 一番の時に一緒に、ですから石碑の字を書いてくださったり、 とても振興があり、その荘助が亡くなって練三が 亡くなった後も私の祖母のところでよく来てくださったり、 交流があったというのがすごいつながりだったんだなと思います。 また、小諸のキネマとか映画館とかお風呂屋さんには みなさんよく行きましたよという形で、 とても繁華街で置き屋さんがあったり、 料亭があったり、食堂があったり、皆さまが集まる場所として、 思い出の地という風にみなさんの記憶にあるうちに こういったものができて良かったなという風に思います。」
記念誌は3千部作り、市に50部を寄贈。 図書館や観光案内所にも置く計画で、 今後図書館では企画展も予定されています。
現在、小宮山酒店を切り盛りしながら、 シニアソムリエとして、小諸のワインの普及活動にも 力を注いでいる、 小宮山荘助のひ孫、岩下順子さん。 この記念誌を、地域学習や歴史研究のために 役立ててほしいと話し、 更には、曽祖父が地域の発展に尽くしたように、 自身も、ワインの分野で地域に貢献できればとしています。
「項目別に見やすくできていますので、 ぜひ手にとって見ていただけたら嬉しく思います。 今まで自分でワイン会とか地域で ワインの好きな方にご紹介してまいりましたが、 今ちょうど鶴巻が田畑だったところに荘助が鶴巻の街を作ったように、 今、糠地のほうの荒廃地にブドウ畑がどんどんできているんですね。 そこにワイナリーが今、小諸では生産者も含めて7社ほどできまして、 ふるさと納税なども通して小諸のワインを全国に発信し、 こちらが本当にワインの産地として、 マンズワインも素晴らしいワインを作っていますし、 マンズワインは世界のビップの方たちの会議にも使われていますし、 小諸のワインをみなさんにご紹介していけるように、 少し、地域のために貢献出来たらと思います。」     
   
 
TOP