『産学連携発祥の碑 除幕式(25.4.20)』
〝ジャム発祥の地〟として知られる小諸市。
明治期に、小諸で桃の栽培から
缶詰販売に取り組んだ流れは、
「産学連携」と「六次産業化」を
当時から実現させていた
偉業だと言われています。
この功績を永く後世に伝えるべく、
記念モニュメントが
小諸義塾記念館前庭に建立され、
「ジャムの日」である
今月20日(日)に除幕式が行われました。
「産学連携発祥の碑」の除幕式には、 今回の式の主催を務める 塩川哲郎さんとその家族、 そして市長はじめ市役所職員、 石碑建立の関係者など およそ40人が集まりました。
塩川哲郎さんは、 日本のジャム産業の礎を築いた、 塩川伊一郎の子孫です。 塩川さんは、 伊一郎の功績を後世に伝えることで 文化振興に役立てようと、 記念の石碑と伊一郎の関連資料を 市に寄贈しました。
石碑の原型制作を担当したのは、 地元の木彫刻作家・政所新二さんです。 高峯山産出の石塊を使い、 小諸の風土を土台に 桃栽培という新たな動きが生まれた瞬間を 表現しています。
明治時代、塩川伊一郎は、 農民を救うための知恵を借りようと、 小諸義塾塾長の木村熊二に相談しました。 そして明治29年、助言のもと、 森山で桃栽培を開始。 北佐久農学校の指導を受けながら行われた桃栽培は、 「産学連携」の取り組みと言えます。 続いて、年間を通して安定的に収入をあげるため、 熊二は桃を缶詰にして販売するよう提案しました。 後に伊一郎らは「塩川缶詰合名会社」を立ち上げ、 農業の六次産業化を実現しています。 塩川缶詰合名会社は、 いちごジャムも製造し、 明治43年4月20日には、 県知事から明治天皇に ジャムが献上されたことで有名です。 この日は、日本ジャム工業組合から、 平成27年に「ジャムの日」に 制定されています。 塩川哲郎さん 「小諸市民に 塩川伊一郎の業績を知っていただきたい。 木村熊二先生の助言によって 桃栽培を始めて、その経緯を。 歴史に名前が埋もれていたんですけど、 それをみんなに知っていただきたい ということですね。 きょうは桜も満開で、 いい日だと思いますけどね、 私としてはものすごい。」 塩川哲郎さんはじめ関係者らは、 この石碑を通して 明治期に「産学連携」と 「六次産業化」を実現させた偉業を 未来に伝えていきたいとしています。 なお、塩川さんが寄贈した伊一郎の関連資料は、 5月GW頃まで小諸義塾記念館に展示予定です。
「産学連携発祥の碑」の除幕式には、 今回の式の主催を務める 塩川哲郎さんとその家族、 そして市長はじめ市役所職員、 石碑建立の関係者など およそ40人が集まりました。
塩川哲郎さんは、 日本のジャム産業の礎を築いた、 塩川伊一郎の子孫です。 塩川さんは、 伊一郎の功績を後世に伝えることで 文化振興に役立てようと、 記念の石碑と伊一郎の関連資料を 市に寄贈しました。
石碑の原型制作を担当したのは、 地元の木彫刻作家・政所新二さんです。 高峯山産出の石塊を使い、 小諸の風土を土台に 桃栽培という新たな動きが生まれた瞬間を 表現しています。
明治時代、塩川伊一郎は、 農民を救うための知恵を借りようと、 小諸義塾塾長の木村熊二に相談しました。 そして明治29年、助言のもと、 森山で桃栽培を開始。 北佐久農学校の指導を受けながら行われた桃栽培は、 「産学連携」の取り組みと言えます。 続いて、年間を通して安定的に収入をあげるため、 熊二は桃を缶詰にして販売するよう提案しました。 後に伊一郎らは「塩川缶詰合名会社」を立ち上げ、 農業の六次産業化を実現しています。 塩川缶詰合名会社は、 いちごジャムも製造し、 明治43年4月20日には、 県知事から明治天皇に ジャムが献上されたことで有名です。 この日は、日本ジャム工業組合から、 平成27年に「ジャムの日」に 制定されています。 塩川哲郎さん 「小諸市民に 塩川伊一郎の業績を知っていただきたい。 木村熊二先生の助言によって 桃栽培を始めて、その経緯を。 歴史に名前が埋もれていたんですけど、 それをみんなに知っていただきたい ということですね。 きょうは桜も満開で、 いい日だと思いますけどね、 私としてはものすごい。」 塩川哲郎さんはじめ関係者らは、 この石碑を通して 明治期に「産学連携」と 「六次産業化」を実現させた偉業を 未来に伝えていきたいとしています。 なお、塩川さんが寄贈した伊一郎の関連資料は、 5月GW頃まで小諸義塾記念館に展示予定です。