『植物学者牧野富太郎から贈られた書など見つかる (23.10.12)』
NHKの連続ドラマ小説「らんまん」の
主人公のモデルにもなった
植物学者、牧野富太郎から贈られた額などが
市内八満にある市民のお宅から見つかりました。
牧野富太郎は、「日本植物学の父」として知られる 日本を代表する植物学者です。 多数の新種を発見し命名も行った、 近代植物分類学の権威で、 この秋までNHKで放送されていた 連続ドラマ小説「らんまん」の 主人公のモデルにもなりました。
今回、牧野富太郎から贈られた書などが見つかったのは、 市内八満の美斉津洋夫さんの自宅です。
洋夫さんの父親「美斉津一夫」さんは 小学校の教師を務めたのち、戦後北大井郵便局を開設。 一方、植物の研究家でもり、 佐久地方の植物に関する論文を執筆していました。 その他にも浅間山の噴火に関する研究や土器の採集など 様々な分野に精通していたと言います。
牧野富太郎は大正10年8月に 浅間山の植物採集講演会の講師として小諸へ初めて来訪。
その後、5回ほど訪れていますが、 昭和15年8月の来訪時には、 一夫さんが同行して 軽井沢を訪れた記録が残っています。
美斉津さんの自宅に残っているこちらの「書」は、 牧野富太郎から昭和11年に贈られたもの。 「酔草文庫」の文字がつづられ、 美斉津君へと書かれていることから 一夫さん宛てのものとわかります。 牧野富太郎の雅号「結網」の文字も書かれていました。 昭和15年の小諸来訪時以前にも、 たびたび交流していたようです。 昭子さん 「私もある方から ちょっとお聞きしたことなんですけれども、 父がいろいろなことに興味があって いろいろ勉強して学校の先生もしていたので 多分いろいろな分野でたくさんのことを 興味があって勉強していたと思うんですけれども、 多分同じ趣味といいますか、 草に酔って、お酒に酔って という感じで意気投合して それで多分酔草文庫という名前を つけてくださったんじゃないかな と言うことをお聞きしまして、 改めていろいろ見ましたら、 なるほどと よくわかるようになりましたけれども。 ですから何回かは 一緒にお酒を酌み交わしながら いろんな分野のお話を意気投合して 多分お話ししたんじゃないかなと思います。」
この他にも牧野富太郎から贈られた年賀状や 牧野自身の喜寿を報告する葉書も。 二人が共に写っている写真もあり親交の深さが伺えます。
昭子さん 「父の書斎も全然見たことがなくて、 足も踏み入れたことのない書斎を 調べたりしましたら、 いろいろ出てきまして、 こんなのがあったんだと 改めて感慨深い思いをしておりますけれども。 今になったいろいろなことが分かってきまして、 改めて興味があって 調べたりしているんですけれども、 父ってすごい人だったんだな と今頃わかりましてね。 もっともっと何か出てくるんじゃないかな と思っているんですけど、 また書斎なども 整理をしてみたいなと 思っております。」
牧野富太郎は、「日本植物学の父」として知られる 日本を代表する植物学者です。 多数の新種を発見し命名も行った、 近代植物分類学の権威で、 この秋までNHKで放送されていた 連続ドラマ小説「らんまん」の 主人公のモデルにもなりました。
今回、牧野富太郎から贈られた書などが見つかったのは、 市内八満の美斉津洋夫さんの自宅です。
洋夫さんの父親「美斉津一夫」さんは 小学校の教師を務めたのち、戦後北大井郵便局を開設。 一方、植物の研究家でもり、 佐久地方の植物に関する論文を執筆していました。 その他にも浅間山の噴火に関する研究や土器の採集など 様々な分野に精通していたと言います。
牧野富太郎は大正10年8月に 浅間山の植物採集講演会の講師として小諸へ初めて来訪。
その後、5回ほど訪れていますが、 昭和15年8月の来訪時には、 一夫さんが同行して 軽井沢を訪れた記録が残っています。
美斉津さんの自宅に残っているこちらの「書」は、 牧野富太郎から昭和11年に贈られたもの。 「酔草文庫」の文字がつづられ、 美斉津君へと書かれていることから 一夫さん宛てのものとわかります。 牧野富太郎の雅号「結網」の文字も書かれていました。 昭和15年の小諸来訪時以前にも、 たびたび交流していたようです。 昭子さん 「私もある方から ちょっとお聞きしたことなんですけれども、 父がいろいろなことに興味があって いろいろ勉強して学校の先生もしていたので 多分いろいろな分野でたくさんのことを 興味があって勉強していたと思うんですけれども、 多分同じ趣味といいますか、 草に酔って、お酒に酔って という感じで意気投合して それで多分酔草文庫という名前を つけてくださったんじゃないかな と言うことをお聞きしまして、 改めていろいろ見ましたら、 なるほどと よくわかるようになりましたけれども。 ですから何回かは 一緒にお酒を酌み交わしながら いろんな分野のお話を意気投合して 多分お話ししたんじゃないかなと思います。」
この他にも牧野富太郎から贈られた年賀状や 牧野自身の喜寿を報告する葉書も。 二人が共に写っている写真もあり親交の深さが伺えます。
昭子さん 「父の書斎も全然見たことがなくて、 足も踏み入れたことのない書斎を 調べたりしましたら、 いろいろ出てきまして、 こんなのがあったんだと 改めて感慨深い思いをしておりますけれども。 今になったいろいろなことが分かってきまして、 改めて興味があって 調べたりしているんですけれども、 父ってすごい人だったんだな と今頃わかりましてね。 もっともっと何か出てくるんじゃないかな と思っているんですけど、 また書斎なども 整理をしてみたいなと 思っております。」