『教育と文化を語る会(18.3.15)』
長年教育に携わってきた有志でつくる
「教育と文化を語る会」の例会が
15日(木)に開かれました。
今年度最後の会となったこの日は、
元教育長の上野英世さんが
「東日本大震災」について
実際に現地に赴き学んだことについて話しました。
「教育と文化を語る会」は、
小中学校の元教員など、
長年教育に従事してきた有志
およそ30人で構成されています。
退職後も教養を深め、
市内の教育と文化の向上に寄与したいという思いから、 20年以上前に結成しました。 見聞を広めるため、月に1度例会を開いていて、 今年度最終回となったこの日は、 元教育長の上野英世さんが 「東日本大震災」をテーマに話しました。
上野さんは5年前と去年の2度、 被災地の南三陸町を訪れています。
被災地に出向いたきっかけは、 津波の襲来ギリギリまで 防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた 町の職員の存在でした。
自らを危険にさらしてまで住民を思い続けた職員が どのようにして育ったのか、 実際にその町に行って知りたいと思ったと言います。
上野さんは、被災地の現状を 震災から2年後と去年の写真を比較しながら 説明しました。
中でも力を入れて語ったのは、 全校児童108人のうち過半数の74人が犠牲になった 大川小学校についてです。
上野さんは、児童らの避難経路や 近隣住民から聞いた話から、 大きな犠牲を招いた背景をこう分析しました。
上野さん 「1番は避難のマニュアルがない。 それから2番は訓練等日常からの備えがない。 3番は職員の意識統一ができない。」
74人の児童と 10人の教職員が犠牲となった大川小学校は 現在閉校しています。 校舎は、震災遺構として保存されています。
自ら被災地に赴き、 震災の恐ろしさや復興状況を語った上野さん。 参加者は皆、興味深そうに聴き入っていました。
市内の教育と文化の向上に寄与したいという思いから、 20年以上前に結成しました。 見聞を広めるため、月に1度例会を開いていて、 今年度最終回となったこの日は、 元教育長の上野英世さんが 「東日本大震災」をテーマに話しました。
上野さんは5年前と去年の2度、 被災地の南三陸町を訪れています。
被災地に出向いたきっかけは、 津波の襲来ギリギリまで 防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた 町の職員の存在でした。
自らを危険にさらしてまで住民を思い続けた職員が どのようにして育ったのか、 実際にその町に行って知りたいと思ったと言います。
上野さんは、被災地の現状を 震災から2年後と去年の写真を比較しながら 説明しました。
中でも力を入れて語ったのは、 全校児童108人のうち過半数の74人が犠牲になった 大川小学校についてです。
上野さんは、児童らの避難経路や 近隣住民から聞いた話から、 大きな犠牲を招いた背景をこう分析しました。
上野さん 「1番は避難のマニュアルがない。 それから2番は訓練等日常からの備えがない。 3番は職員の意識統一ができない。」
74人の児童と 10人の教職員が犠牲となった大川小学校は 現在閉校しています。 校舎は、震災遺構として保存されています。
自ら被災地に赴き、 震災の恐ろしさや復興状況を語った上野さん。 参加者は皆、興味深そうに聴き入っていました。