『御嶽山噴火―小諸消防署からの救助隊員が捜索活動に従事(14.10.29)』

           
        Posted on 2014年 11月 10日      
     
       

57人が死亡し、戦後最悪の火山災害となった

御嶽山の噴火から1カ月以上が経ちました。

行方不明者6人を残し、積雪期を迎えたことから、

先月16日に今年の活動を打ち切った御嶽山。

この捜索活動には、佐久広域連合消防本部からも、

救急・救助・後方支援隊として、のべ133人が

派遣されています。

そのうち、小諸消防署から

佐久広域連合消防本部の救助隊長として、

捜索活動に派遣された高瀬和広さんに、

お話を伺いました。

御嶽山の噴火に伴う捜索活動には、

佐久広域連合消防本部の救助隊員などとして、

小諸消防署から、のべ17人が派遣されました。

そのうち、10月7日には、小諸消防署の高瀬和広さんが、

救助隊長として、

佐久広域連合の救助隊員と支援隊の合計8人で捜索に参加。

自衛隊のヘリで標高およそ3000メートルの

一の池に到着した際の様子についてこのように語りました。


「いきなり3000メートルに着陸したので、まずは高山病予防のため15分間まったく動かなかった。

それから活動する場所へ徒歩で向かったが、降りた瞬間は、銀世界ではなくグレー世界。

なんという景色だろうというのが素直な第一印象。

そこから剣ヶ峰頂上山荘へ登ったが、

火山灰がぬかるんでいて急斜面の泥の中、1歩1歩足を抜いて進んだ。

200メートルを1時間半以上かかってしまうような状況だった。」


剣ヶ峰頂上に上った後は、

担当区域である二ノ池付近まで下った高瀬さんたち一向。

登山道を割り出しながらの捜索活動は、

危険を伴い、困難を極めたと言います。


 「剣ヶ峰山頂山荘に登っていた時に、煙が真っ白に上がってきて、

検知器持っている隊員は「反応なしです」ということで、

一瞬は焦ったが、捜索活動中に検知器が鳴るということはなかった。

ただ硫黄の匂いは常時していた。

火口付近や、火口沿いを歩いていたので、

またいつ起こるかわからない噴火、有毒ガスの危険性を常に感じていた。」


一行が捜索活動を終えてヘリで下山したのが午後3時過ぎ。

佐久市の本部に戻ったのは、午後9時過ぎでした。

今回の活動を経験し、高瀬さんは、

今改めて思うことをこう話します。


「とにかく助け出す。その思いで行っているにもかかわらず、

発見に至らなかったという無念の思いと、

今後こちらでも活火山があるので、どういう対応をしたらいいのか色んなことを考えた。

装備の面はもちろん、噴火が起きてしまった時の計画を入念に練る、

それと隊員の体力・スキルを上げることを考えた。

今回のような3000メートル級の山に行ってみてわかったが、

普段の体力とは違う体力がいると感じた。

小諸救助と言われるくらい、大会で好成績を収めているし、

緊急消防援助隊の指定の救助隊なので、

とにかく今まで通り鍛える、それしかない。」

これまでも、様々な救助現場に足を運んできた経験を持つ高瀬さん。

最後に、救助隊員としての信念を伺いました。

「助ける。一言の中には、様々な考えることや、

やらなくてはいけないことがたくさんある。

とにかく助ける。」

     
   
 
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